紫式部は970年代前半(973年?)に生まれ、1019年(?)頃に没したとされているが、正確な記録は残っていない。
「紫式部の墓」と伝えられている場所は、平安期より、“蓮台野(れんだいの)”と呼ばれる墓地であり、貴族たちの共同墓地のようなところだったと推察される。
同じ敷地内には、遣隋使として余りにも良く知られている“小野妹子”の子孫であり、孫には小野道風という優れた学問の家系を誇る歌人の、小野篁(たかむら:802〜853)の墓も在る。
この二人の墓が何故同じ墓所にあるのかについては、次のような面白いはなしがある。
小野篁は“閻魔大王のもとで裁判の補佐役をするため、毎夜、家の裏の井戸を通って地獄に降りていた”という奇怪な伝説をもつ人物。
紫式部は『源氏物語』という男女の愛欲を赤裸々に描いた淫らな作品の著者という罪で地獄におちてしまったが、この小野篁が、閻魔大王にとりなしたことで、式部は地獄から助け出された...
という伝説に基づくもの。
従って、現在の、墳丘に、本当に二人が眠っているかということについては大いに疑問視されてきたが、14世紀の古文書解説書として知られる『河海抄』という文献のなかでは、既に、二人の墓としているため、かなり昔から、二人の墓にまつわる伝説は受け継がれてきた事実であることは間違いない。
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